生き様のDNA

ほっとメッセージ

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

決して褒められるような子育てではなかったけれど。

光陰矢の如し?この5月、1ヶ月遅れで、私の娘は大学の入学式に、上下、シャキッとしたスーツをまとい、まるで社会人になったかのような格好で、颯爽と出掛けて行きました。

震災の影響で式が延び、ジリジリしていた彼女に、「お父さんも入学式に行こか?」というと、「来なくていいよ!」とあっさりと二つ返事で断られました。 親はいつまでも子供のつもりが、子はもう大人へと自立しようとしている・・・。 寂しいけれども頼もしく、嬉しい反応でした。 そういえば彼女が小5の3学期に、福井県の「かつやまこどもの村 小・中学校という、体験学習を中心としたユニークな学校へと編入した時の事。 その登校初日の朝、彼女を送り出す勝山のホテルのラウンジで、急に物凄い寂しさを覚え、モーニングを食べながら号泣した事を今でも思い出します。 それはまるで今生の別れのような感覚で、それまで彼女と過ごした様々な思い出が走馬灯の様に流れていった、まさに「浄化の涙」でした。 赤ん坊の頃、夜泣きをあやしにたびたび近くの公園のブランコにのって、背中をトントンした事、アトピーがひどくて、一緒にアワ、ひえを食べた事、断乳の時に、おっぱいに「へのへのもへ字」を書き、母子共々無言で、つらい断乳の瞬間を手伝った事、自転車の前の補助席に乗せ、冬の寒さの中、歌を一緒に口ずさみながら、息を曇らせ保育園へ連れて行った事、仕事で遅くなり、汗をかきながら必死で学童保育の教室へ走り、今にも泣きそうな顔をしてじっと待っていた彼女の顔を見た瞬間に謝り、抱きしめた事など、本当に様々な思い出がいっぱい駆け巡っていきました。 親も必死なら、子も一生懸命その瞬間瞬間を生きていたのだと思いますが、決して人様からほめられるような子育てではなかったと思います。 ただ私の救いは、娘が父親べったりではないものの、恥ずかしげもなく、「お父さん、大好き」と今でもたまにいってくれる事です。 親バカな話で、決して誌面でお伝えするような話ではありません(未熟者としてお許しください)が、父親として、これ以上嬉しい言葉はありません。 そのうちに言ってくれなくなるのは分かっていますが、せめてもの自己承認ができる瞬間でもあります。 ただそうはいっても、お腹を痛め、多大なる犠牲を払って無私に子供を育てる母親の苦労と想いに比べれば、父親の大変さは本当に知れたものです。  特攻隊の若人が、最期に「お母さん」といって、今生の別れを告げることを考えれば、「海より深い母の恩」に勝るものはやっぱりありません。 しかし敢えていうならば、人生のポイントや岐路に、陰ながら黙々と後ろ姿で、何かを大切な事を見せてくれたり教えてくれたりするのが、父親という存在なのかもしれません。

「山より高し父の恩」。父の背中から、知らず知らずのうちに教えてもらった大切なことがたくさんあります。

私が娘に対して、何か後ろ姿で、大切なことを見せたり、教えたりした事があったかどうかは「?」ですが、一つだけあるとしたら、家は神棚と仏壇があったので、朝夕に手を合わせ、見えないけれど大切なものに感謝し、見守られて生きているのだということだけは、彼女のDNAに刻み込まれ、物言わずとも彼女も黙って自然にそうするようになっていきました。 おかげ様で、家族揃ってお墓参りすることも全く抵抗することなく、節目の時には、彼女と2人で行くこともあります。 古臭いかもしれませんが、見えない何かに敬意と感謝をする生き方は、これからは実はとても新しくて、格好いい生き方なんじゃないかとつくづく思います。 それは今回の震災を契機に、より強く思えました。そして私もまた、この春に数えで80才になった父から大切な事を、後ろ姿にいっぱい教えてもらいました。

父から子へ、そして娘へ。形を変えて、DNAのどこかに。

私の父は、若い頃から40年以上、タイヤを製造する会社の現場仕事で、昼夜逆転するような過酷な三交替の勤務を、文句もグチも言わずに、家族のために続けてきてくれました。

ゴムを高温で溶かし、重く大きなタイヤを作っていく過程で、吹き出す汗と体力の消耗は、想像を絶するものだと思います。 夜勤が続くときっと体のバイオリズムもボロボロになり、男といえども、ホルモンのバランスが崩れ、身心ともに辛く、しんどい時も多々あったと思います。 その永年の勤続(金属?)疲労のせいか、この10年以上は、原因不明の重度の腰痛になり、ベッドに横たわっていることが、1日の内のほとんどになる様な状態が続いています。本当に申し訳なく、子供としても辛い気持ちで一杯です。 それこそ、私達を育てるために、必死に働き、犠牲になってくれていたことを考えると、いくら感謝してもしきれません。「山より高し父の恩」とは、まさにこの事だとつくづく思います。 無口で、シャイで、決して目立たない父親でしたが、どんな事があっても黙々と、まじめにそれこそ一所懸命に働く姿から、誠実さや辛抱強さ、そして地味でも一つの事を継続していくことの大切さを、知らず知らずに教えてもらっていたのだとつくづく思います。 これらは形を変えて、私のDNAのどこかにしっかりと刻み込まれていると強く思います。

そんな父親が80才になった時の誕生日に、私と嫁さんと娘でメッセージカードと父親の名前と同じ名前の焼酎「正春」を送った時に、私も父親に言いました。 苦労をして育ててきてくれた感謝と、「お父さんが大好きで、お父さんの子で良かった」ということを・・・。そして曾孫の顔を見るまでは長生きして欲しいということを・・・。 母親いわく、その手紙を見て、父親は、涙を流していたとか・・・。 父から子、そして娘へと「生き様のDNA」と「絆」はずっとつながっています。 6月19日は、ついつい忘れがちな父の日。 地味ながら、大切な存在のお父さんへ、「本当にありがとう!」ですね。 感謝

Guts

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この記事を書いた人

株式会社プロ・アクティブ 代表 山口哲史(ニックネーム/ガッツ)

掲載メディア:https://column.ima-coco.jp/media/



兵庫県伊丹市出身。関西学院大学商学部卒。



(株)リクルートをはじめとする大企業勤務を経験のあと、1991年に株式会社ファイルド・アクティブを創業、2000年に現在の株式会社プロ・アクティブに改称。



ユニークな人柄と独特の感性で、人や商品・情報を引きつけ世に紹介することを使命とし、全力で当たる、魚座・B型の快男児。